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2016年6月18日 (土)

阻止されたヘイトスピーチ 対策法で根絶なるか~その2~

…浜坂は普段、障がいのある方を支援する仕事をしている。「障がいのある方の権利を守る」活動、と言った途端、眉をひそめ、浜坂から遠ざかろうとする一群がいる。

 

「権利を守る」という言い方は、一種、政治的に映るのだろう。「98.1パーセントが年収200万円以下、60パーセント余りは、年収100万円以下」という、不当に差別されている実態を少しでも改善したいと訴える活動は、断じて「政治的」なものではない。なのに。どうして。

 

一般に「権利擁護運動」と呼ばれるこうした活動を否定する人たちの心理構造は、どのようなものなのか。神奈川新聞の記事は、見事に的を得た記述をしている。

 

『在日を治安の対象とみなし監視し、管理する指紋押なつ制度。その運動が拒否したものは日本社会そのものではなく、法の不条理だった。…(中略)…拒否ではなく、同じ社会への参加を求めるための運動。「これは共に生きようとする日本社会へのラブコールだ」それが合言葉だった』

 

『そしていま、再び問わねばならない。この社会に私たち在日の姿は見えているか、向き合おうとしているか――』

 

『「どっちもどっち」という、それでは共感は得られまいというたしなめるような、それでいて自らは遠巻きに眺めているだけの人ごとのような響き。共に生きようと投げられたボールからひょいと身をかわすような態度。』

 

『声を荒らげるというより、怒り、いら立ちの表出の裏にどのような思いが込められているか、この社会として少数者として生きる困難さに対する想像力を欠いた「どっちもどっち」。それはまた、自らの尊厳を守るために声を挙げた途端、条件反射のように眉をひそめる振る舞いにのぞく「在日のくせに」という見下しに重なってもいる。』

 

…この、「自らの尊厳を守るために声を挙げた途端、条件反射のように眉をひそめる振る舞い」に、「見下し」が潜んでいるという指摘を、しっかりと胸に刻み付けておく必要があるのだ、と思う。浜坂自身もそのような振る舞いをしてこなかったか、と。あるいは、浜坂自身がカウンターとして川崎に駆けつけなかったこと、そのこと自体が、もはや「差別」に値するのではないか、とも。

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