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2016年6月20日 (月)

学校で大「恥ずかしい」→全部個室にします~大和、全市立小中学校で完全個室トイレ~…その2

障がいのない人だって、本当に「生きづらさ」を感じたことのない人なんて、はたして、いるのかい?浜坂自身が、福祉関係者としての職業病か、あるいは忌むべき性格上か、はたまた「いじめられた」過去の裏返しか、「障がいのある人」という言葉を使うとき、時として上から目線になっていることがある。そういう「レッテル貼り」に、どれほどの意味があるのかい?

 

あるいは、新年度を迎えて、後輩も入ってきたので、つい「育ててあげなくては」という感じで接してしまったら、実は中途採用者で、浜坂と同じくらい経験のある人だった、とか。

 

前の記事で「在日」の方に関することを書いたが、そもそも「在日」とか「障がい者」「いじめ」「DV被害者」「LGBT」「先輩・後輩」とか、そういう「対象化」することそのものが「レッテル貼り=差別意識」につながってはいないかい?

 

浜坂は、わりとこういう「わざわざ、騒ぎ立てる」ということを、ついうっかり、やってしまう。当事者が、「そっとしておいてほしい」と考えるようなデリケートな問題であるにもかかわらず。もちろん「そっとしておく」が「無視する、問題を隠す」ことになるのは、それはそれで問題だが。

 

メガネをしているから、何だというのかい?メガネをしている人を浜坂は大上段に論じたりしないだろう?なのに「在日」「障がい」「いじめ」とかは、大上段に論じてしまうのは、それだけ特別扱いをしているからではないのかい?それは、差別意識と、どう違うのかい?

 

「浜坂には差別意識があるのだ」、そういう自覚を浜坂自身が持ち、そこと向き合いながら社会と折り合いをつけていく、そういう生き方の中で、自然と「生きづらさを抱く人」への配慮も、身体感覚で理解できるようになるのだろう。

 

そのうえで、差別意識とか、変に特別意識することとかが、自然と消えたらと思う。浜坂が、自分自身でメガネをしていることに、なんの劣等感も差別意識も抱いていないように。

 

まだまだ、修行が足りない。トイレひとつの話題で、ここまで深く考えてしまった。

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