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2016年1月23日 (土)

テレビ報道の「顔」相次ぐ降板… 各局「公正」注文で及び腰?

テレビ報道の「顔」相次ぐ降板… 各局「公正」注文で及び腰? http://www.sankei.com/entertainments/news/160121/ent1601210012-n1.html (共同通信配信、記事はSankei Expressより引用)

前から浜坂も同じことを思っていたが、「そう思う」という、あくまで主観的なことなので、これまであまり言葉にできなかった。

これをしっかりと記事にした共同通信、そしてこの配信記事を掲載した新聞各社は、すばらしい。

だけど、共同通信は、サブタイトルが、「各局『公正』で及び腰?」ではなく、もっとストレートな表現「忖度(そんたく)や自制、危ぶむ声」を使っている。

これを産経がさりげなく変更した、というところに、新聞社ごとの立ち位置の違いを感じる。

記事の中、碓井広義上智大教授のコメントを、しっかりと胸に留めておきたい。

「報道番組が今後何を伝えるのか、そして何を伝えなくなったのか、しっかりとチェックしてほしい」

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2016年1月18日 (月)

もうひとつの「ナオミとカナコ」~その8~

 そして、社会を変える活動に関わっていく。「家族」という枠でしか幸せを語れない無知なこの国は、たとえば「夫婦別姓」のように、従来の家族観に一石を投じるだけで、「夫婦別姓デ国滅ブ」などと、それこそ新興宗教みたいな言説が、まかり通る。この国だけだ。こんな稚拙な議論に終始するのは。

 

 「家族」に替わる「個人」を主体とした幸せの形を、ヨーロッパのかくも多くの国が示しているにもかかわらず、この国の政治権力は、意図的にこれを隠そうとする。あくまで他国の話で、日本にはなじまない、と。なじまないくらい人権が無視されている、ということだ、この国は。

 

 仮に浜坂自身がカウンセリングを受けて、心が軽くなったところで、浜坂は断じて納得しない。浜坂を、母を、家族を苦しめた、社会の構造を、変えていく、これを実現しない限り、浜坂は絶対に納得しない。

 第2、第3の浜坂を、絶対に作らない。第2、第3の母を、そして父を、絶対に作らない。この強い意志こそが、浜坂の職場である福祉の思想だと信じ、今年も生きていく。「多くを求めず、すべてをあるがままに受け入れ、…家族を愛しなさい」。こんな、権力と差別の構造を固定化するような許し難い言説に、毅然として立ち向かっていく。

 

 そして、最後に、言いたいのだよ。どれだけ不遇な子ども時代を過ごそうとも、そして今、どれだけ不遇を感じていようとも。人は必ず幸せにたどり着けると。本当の意味で、幸せになれると。

 

 いつか誰かを好きになり、ゆがんだカタチではなく素直に人を愛し、そして、その人を幸せにできることを。自分だけが幸せになるだけではなく、大切な人と一緒に、一緒に幸せをつくることができる、ということを。自らの人生をもって、示したいのだよ。

 

 このようなことを振り返ることができた、昨年末から今日までの1、2ヶ月は、浜坂にとって大きな転機となった。今年も地に足をつけて、つまらないことにくじけて命を落としたりするようなことなく、しっかりと生きていきたい。そう、決意を新たにする。

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もうひとつの「ナオミとカナコ」~その7~

 家父長制=イエ。そして、DV。個人が個人として人格を持った存在であることを否定する権力構造。ここから逃れ、自由な人間として、自分が自分として、地に足をつけて生きていることを確認するには、周りがどれだけドン引きしようが、新年の町を独りで歩き回るようなアヤシイことでも、しなければいけない、ということだ。

 

 アダルトチルドレンの支援に取り組む実践で、つらかった過去の場面を再現した上で「つらかった!」とはっきり言葉にする、というワークショップがあるが、浜坂にとって、このワークショップにあたるものが、名古屋の町を歩き回る、ということなのだろう。あるいは、この文章を書くことそのものが、そういう性質を帯びている、ともいえるだろう。

 

 俺だって、幸せになりたいのだよ。だけど、母親が教える幸せが、真の幸せではないことだけは分かるのだ。じゃあ、本当の幸せって、いったい何なんだい?

 

 俺だって、幸せになりたいのだよ。人を好きになって、愛したいのだよ。幸せがどんなものか、まだ浜坂は知らないけれど。人を愛するということがどんなことか、まだ浜坂は正しくは知らないけれど。

 

 他の人は幸せってのが何か、知ってるんだろう?人を愛するってのがどんなことか、知ってるんだろう?どこかのミュージシャンが、「あったかい」って、歌ってたよ?俺だって、知りたいんだよ。そんな「あったかい」ものがあるなら、俺だって触れてみたいよ。まだ、何も知らないけれど。

 

 ドラマ「ナオミとカナコ」はまだ始まったばかりだが、原作の方は、DVの男性の殺害を企て、完全犯罪を実行しようとする中でどんどん主人公が追い詰められていく、本格派サスペンスの趣が強くなっていく。一方、DVという社会問題を考える要素は、だんだん小さくなっていく。

 

 浜坂も、過去に捉われて、過去に追い詰められ続けるようでは、未来へ向けて歩けないことくらい分かり切ってはいる。過去から自由になりたいと、常に思っている。

 

 だがしかし、それでも過去を時々振り返り、自らの言葉で捉えなおし続け、語り続けないと、進むべき未来さえ誤って見定めてしまいかねない。

 

 だからこそ、語るのだ。書くのだ。「つらい」「苦しい」と、意識すらできていなかった自分の気持ちに、カタチを与えて、言葉を与えて、音楽を与えて、歌うのだ。そうすることで、自分自身が、どのような生きづらさを抱いているのかを知るのだ。気付いていくのだ。

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もうひとつの「ナオミとカナコ」~その6~

 父の転勤の関係で、幼少期から小学校の途中までを過ごした名古屋。物心ついた時にはすでにこの町にいたので、嫌なことがあると今でも浜坂は「本当のふるさとは、名古屋だ」と繰り返しつぶやいて、涙をこらえることがある。

 

 当時通った小学校近くのビジネスホテルに宿泊、年を越す。この町は背の高いビルが多いので、初日の出はビルの陰に隠れてなかなかその姿を現さない。まぶしい光が差しこむのは、空がだいぶ明るくなった午前8時ごろとなる。

 

 名古屋の駅前通り・桜通という8車線の大幹線道路から、ちょっと脇へそれた一角に、かつて幼少期を過ごした社宅の跡地がある。今はオフィスビルになっているが、隣の敷地を隔てるブロック塀や、歩道のタイルが特徴あるデザインなのは、あの頃のままだ。 

 

 オフィスビルをぼんやり眺め、あの頃と同じブロック塀の手触りを確かめ、そして、桜通に架かる歩道橋、同じく8車線の大動脈・伏見通と交差する場所にある、カタカナの「ロ」の字になっているので幼少期は格好の鬼ごっこの舞台だった、この歩道橋の上で、初日の出の陽光を浴びる。 

 

 あたたかい光を背中に受けながら、クルマが桜通をまっすぐ進み、視線の先に見える名古屋駅へ向かって遠ざかっていくのをぼんやり眺める。こんなことを、数年に一度、感傷に浸るように行っている。 

 

 母が、新興宗教の教えを実践するためではなく、また、「家=イエ」という枠組みにとらわれた言葉ではなく、真にひとりの人間として、母親として子どもである浜坂を愛してくれる日は、果たして訪れるのだろうか。そんなことを、歩道橋の上で、ぼんやり考える。 

 

 それも、社会的なジェンダー(演者)としての「母親」ではなく、ひとりの人間としての沸き上がる感情として、愛してくれる日は。その日が来てほしい気もするが、まあ、無理だろう。「産まれんように祈ってたんや」という本音を持つ母には。

 もうひとつ。浜坂自身が、母から逃れるためではなく、暗い過去の裏返しとしての歪んだ言葉ではなく、真にひとりの人間として。過去から自由になったひとりの人間のわきあがる感情として、誰かに愛を語れる日は。「好き」と言える日は。果たして訪れるのだろうか。

 以前、浜坂が取り返しのつかないくらいに人を傷つけてしまったのは、そういう権力構造を受け継いでいる自分に気付かなかったから?そういう歪みによって、自分で自分のことを制御できなくなって、人を傷つけてしまった…だとするならば、もはや俺は、人の愛し方なんて、分からないよ。人を好きになるなんて、恐ろしくてできないよ。

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もうひとつの「ナオミとカナコ」~その5~

 「年末、前から言っとった、『会ってほしい人』を、ウチに連れてくるわ」と、浜坂に見合いを進めてくる、母。単純に「会ってほしい」とは以前から言われていたが、「ウチに連れてくる」まで言われると、浜坂も心おだやかではいられない。昔も今も、一時たりとも心の休まることがないのだ、浜坂にとって実家という場所は。

 

 単純に、独身の息子を気遣っての余計なお世話、とは性質を異にする。要するに、自分の産んだ子どもが、「家=イエ」という権力構造を受け継がないことに対する、圧力なのだ。

 

 それこそが幸せなのだと、信じて疑わないのだ。新興宗教の教え通り、今は子どもたちもひとり立ちし、家族みんなが穏やかに暮らしているではないか。わたしは宗教の教えを正しく実践している。それなのになぜ、ひとりだけ、3人の子どものうちひとりだけ、家族を作らないのか。私の言うことを聞けないのか、私だって見合いで結婚して、こんなにつらい思いをしながら幸せに生きようとしているのに、と。

 

 「これがDVの権力構造でなくて、いったい何だというのだ」。つい先ほど、浜坂はこのように書いた。つまり、母が過去に苦しみ、そして今、浜坂に押し付けようとする「家=イエ」という権力構造は、同じく母が過去に苦しんだDVの権力構造と同じものである。

 

 あの日、茶の間の隅で息をひそめ、体をこわばらせていた、子どもの頃の忌まわしい思い出につながる、権力構造。「多くを求めず、すべてをあるがままに受け入れ、神を愛しなさい。家族を愛しなさい」…美しい言葉の裏で「権力に耐えなさい。差別に耐えなさい」と諭す、忌まわしい思想。それを今になってなお、浜坂に押し付けようとしているのだ。

 

 そこが透けて見えるから、浜坂は言葉の正しい意味で吐き気さえ催し、「そんなこと言うんやったら、帰らんからね!」と捨て台詞を吐き、今年は実家に帰らなかった。もっと言うと、日本海側、浜坂が生まれた町に帰省はしたが、実家へは寄らず、中学の同級生が毎年開いている忘年会に出席、その足でホテルに宿泊し、翌日、名古屋へ向かう。

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もうひとつの「ナオミとカナコ」~その4~

 「産まれんように祈ってたんや。ずっと水風呂に入ってたんや。そしたら未熟児になって生まれてきた。神はおるんや。祈れば、願いを叶えてくれるんや」

 

 浜坂にこのように口走りながら、翌日にはすっかり忘れたように「家族を愛しなさい」という宗教の教えを、まるで自らに言い聞かせるように繰り返し、浜坂にも説教をする母。「多くを求めず、すべてをあるがままに受け入れ、人間の本分をわきまえて生きなさい。そして、神を愛しなさい。家族を愛しなさい」。

 

 浜坂の祖父は、当時会社の役員をやっており、出勤前に気合を入れるために日本酒をあおるという、豪傑であったそうだ。そんな祖父が仕切る浜坂の家は、「家=イエ」という記号論で表わされる、典型的な家父長制だ。

 

 そんな「イエ」という権力組織に、お見合いで嫁いでしまった、母。祖父の下、また、母いわく「嫁いびり」の酷かった祖母の下で暮らし、子どもを産み育て、社会的なジェンダーとしての「妻」「母」「専業主婦」を演ずることは、関東の短大で青春を謳歌した母には、それこそ心を病むくらいつらいものだったろう。

 

 母は、弱かったのだ。「そんなにつらいなら離婚して家を出ていけばよかったのに」「そうしていれば、俺も生まれずに済んだのに。俺がこんなつらい思いをすることも、はじめから無かったのに」と、今でも思う。

 

 父も、弱かったのだ。自身が9人兄弟の長男、実家を継ぐ以上、最低3人は子どもを産んでくれなければ、という重圧が仮にあったとして、それを跳ね返して母を守る力もなかったのだ。心を病んでいく母を前にして、手を上げるより他になすすべもなく、「家=イエ」「家父長制」という枠の中でしか、対応することができなかった、父。

 

 それでも母はなお、「独りで生きていく」「人格を持った個人、人間として生きる」「個人としての生き方を認めない社会と、闘う」「社会を変える」「フェミニズムを追求する」ことを選ばず、フェミニズムどころか新興宗教の力を借りてまでして、「家=イエ」「家父長制」という権力構造の中に留まろうとした。

 

 自らの心を病気に追い込んでまで、そこまで追い込んだ張本人である「家、イエ、家族」を「神」と同列に扱い「愛しなさい」と繰り返した。一方では「産まれんように祈ってたんや」と浜坂に口走りながら。

 

 これがDVの権力構造でなくて、いったい何だというのだ。「子どもは、『自分は守られなくて当然な存在』『安心を受け取るに値しない存在』と認識するようになる。対夫との関係で被害者である妻は、対子どもとの関係では見えにくい加害者に転ずることが多いのである」(草柳和之、前掲書)。

 

 そんな母から、年末に、見合いの話などされるから、浜坂は吐き気がするほどの拒絶反応を示さざるを得ないのだ。急に俗っぽい話になるが。

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もうひとつの「ナオミとカナコ」~その3~

 浜坂は、ずっと淋しさを抱えて生きてきたので、人との距離感が時々近くなりすぎて、人をドン引きさせる時がある。特に女性の場合は、そうでなくても気を遣わなければならないにもかかわらず、関係性が断絶するような取り返しのつかないことになったりもする。

 

 それを今までは「仕方ないじゃないか、今までの人生の来歴が、ああだったのだから」と、なかば開き直ってしまうこともあったのだが、仮に自分のことを「DVの家に苦しんだ子ども」と捉えるならば、本気で、浜坂は専門家のカウンセリングを一度受けた方がいいのではないかと、思うようになってきた。でないと、自身の言動がますますひどくなって、あるいは自分がDVを受け継いでしまうのではないかと、本気で考えるようになってきた。

 「子ども時代にDVの家庭で育ち、あのような父親になりたくないと思いながらも、妻への暴力衝動がうまれて来てしまう人もいる。…(中略)…自分を受け入れてくれるはずだと願う親密な人間をターゲットに、暴力を行使することで自分の中の傷つきを埋め合わせようとする」

 

 「加害男性は本人の生きてきた歴史の中で、学校社会や家族において自分が尊重されなかったり、踏みにじられてきた経験が見いだせることが多い。時には、親からの虐待や、学校での極度ないじめを受けている場合も存在する。このような方には、虐待や、いじめのケアとしてのトラウマ・カウンセリングが必要になる」

 

 「DVの家庭で過ごすことになった男児は、成人後、妻に暴力をふるう率が高くなることが、欧米の調査で指摘されている。…(中略)…子どもは、DVによって精神的被害を受ける。被害者が、加害者に転化することを、ぜひとも止める必要がある」(以上、「ドメスティックバイオレンス」草柳和之・岩波書店)

 

 繰り返すが、浜坂は今でも、父のことは責めてはいない。父が母に手を上げるのは、他のDV事例が示すように、「なんでこんな理由で暴力を?」というようなことではなく、取り返しのつかない状態になっている母を制するという、やむにやまれぬ正当な事情があったと、今でもそう思っている。

 

 だがしかし。そうやって「やむをえなかった」と浜坂自身に言い聞かせて納得させようとしても、それでもなお、あの悲痛な光景を今でも、時々夢に見るのだ。そして。そもそも、そもそもの話。

 

 母に望まない妊娠をさせた、というのが、DV定義その3「性的暴力」ではないのか?DV男性は、ある一定の割合で、執拗に自らの子どもを産むことに執着する。ドラマ「ナオミとカナコ」における加奈子の夫もそうだ。

 

 そして、浜坂自身も、まだ独身の身においては自分の子どもが欲しいとか欲しくないとか考える余裕もないが、確かに一度は教師の道を選んだくらい子どもが好きだ。実に悲しいことに、だ。

 

 浜坂は、この世に生を受けない方が、そもそもよかったのではなかろうか?

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もうひとつの「ナオミとカナコ」~その2~

 何年か前に、このブログでも書いた覚えがあるが、浜坂の母は、3人目である浜坂を産む、産まないでもめたことによるストレスで、心を病んだ。

 

 母に連れられて何度もお出かけした記憶。楽しかった。だが、その出かけた先は大学病院の精神科外来で、待合室を兼ねた長い廊下で無邪気にかけずり回る浜坂がいた。

 

 母に連れられて行った新興宗教の道場では、ほかの信者の子どもと一緒になって積み木で遊んだり、キリストのアニメのビデオ放送を見ていたりした。

 

 その夜。夕食後、流し台のところで突然母が、片付けていた皿を床にたたき割り、まるで発作が起きたように泣き叫びはじめる。

 

 すぐに父が飛んで行って、「これが割れた皿の痛みや!」と言いながら、母に何度も手を上げる。

 

 そんな姿を、茶の間の隅で、息をひそめて見ていた、幼稚園時代の浜坂。一度や二度の話ではなかった。小学校、中学校、高校と、浜坂が成長するに従い、回数こそ減っていき、年老いて体も弱くなった今でこそ穏やかになっているものの、大学入学を機に家を出るまで、浜坂は一時たりとも心の休まることがなかった。

 

 「こんなにわたしは不幸なんやから、ごほうびがあって当たり前や」と、家族を巻き込んで何度も外食に出たり。家族の反対を押し切って、教祖の講演を聞きに北海道へ出かけたり。

 

 そんな母を、「病気だからって甘えてるんじゃないか」「そんなにつらいなら離婚して家を出ていけばいい」「どうして俺だけこんな思いをしなければならない。兄ちゃんや姉ちゃんはいいよな。望まれて生まれてきて。」と、内心は手当たり次第に憎みながらも、言葉にすれば実害が自分に及ぶのは分かり切っていたので一度も口にしたことはなかった。

 

 浜坂は、母に手を上げた父については、特に責めたりはしない。あの状態の母を制するには、あれしか方法がなかったと思う。つい最近まで浜坂自身も、母に望まれずに生まれ育った子どもとして、ずっと母を憎むことで自分の人生を語ってきた。

 

 だがしかし。最近、DV関係の本を読んでいて、気付く。また関連して、アダルトチルドレンに関する本を読み返していて、気付く。浜坂自身のことを、「『DV』の家に苦しんだ子ども」と捉えなおす視点は、今まで浜坂は持ち合わせていなかったが、このように仮定すると、自分自身の様々な一面に、新たに気付くのだ。

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もうひとつの「ナオミとカナコ」~その1~

「わたしね、直美が幸せじゃなくてほっとしたの。安心したんだよ。人生うまくいってないのはわたしだけじゃない」。

 

 加奈子の言葉に一瞬、我が身を振り返った。浜坂自身も、そういう言葉を誰かに口にしたことはなかったか。

 

 いな、「俺よりも不幸な人がいる。俺ごときで泣き言を言うな!」と、自らのからだをかたくこわばらせ、ひたすら我慢していたのか。

 

 知人からの相談をきっかけに、DVのことを調べ、浜坂自身の半生をも振り返り直していた時に、なんとタイムリーな、DVの男性が登場するドラマ「ナオミとカナコ」(原作・奥田英朗)の放送がはじまった。

 

 ときどきこのブログでも、浜坂の暗い過去を話してきた気もする。それでもまだ、語り切れなかった闇。語るには重すぎて、自分の心の中に封印してきたが、知人たちの相次ぐ「自己開示」や、昨年末に家族とトラブったことの腹いせもあり、この際、ぶちまけたいと思う。

 

 ドラマ「ナオミとカナコ」第1話。加奈子がDVに遭っていることを知り、直美が夢で、幼い頃に父が母に暴力をふるうシーンを思い出す。ああいう場面を見ると、浜坂もダメだ。

 

 …台所で母が泣いているのを、茶の間の隅、息をひそめて見ていた。幼少期の浜坂の思い出は、夢中で遊んだ電車のおもちゃと、母の泣き声、ただそれだけだ。

 

 

 このブログ記事は、知人にダイレクトに届くFBには、リンクを貼らないことにする。今の時代、FBにリンクしないブログなど、ただのモノローグ(独話)だ。反応する人など、いなかろう。万が一、家族親類にバレて、家族の縁を切られることになろうとも、どうせいつか浜坂の方から願い下げするつもりでいたから、問題なかろう。

 

 かなり重い話を書くので、この記事に触れて、もしつらくなる方がいたら、途中で読むのを辞めることをおすすめする。

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