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2011年4月14日 (木)

心の中で三春の桜を想う。その3

 今日の、福祉作業所のレクリエーション、鎌倉行きに参加できなかったメンバーが、ひとりいる。
 やまない余震に精神が不安定になってしまったメンバー。レクに参加したい、でも、怖くて外出ができない。
 レクに誰が参加したか、浜坂が留守番中の作業所はどんな様子か、気になって電話で聞いてきた、その声色は、明らかに沈んでいる。
 3月11日以降、メンバーたちの精神状態の乱れを思えば、休日に緊急出勤、ということも、今後大いに予想される。
 遥か北の国へ、今すぐにでも行きたい。でも行けない。そんな張り裂けそうな思いを、ぐっと沈めて……いや、行く勇気のない自分への言い訳か?
 ……ともかく、この藤沢の地で、震災と静かに向き合い、そして戦う。
 浜坂には、もう一ヶ所、前から見たいと思っている桜の風景があって。
 ・・・長い冬から醒めて、梅、桃、桜と、同時に三つの春が一気にやってくる、というのが町名の由来とも言われている福島県「三春」町。
 大学時代の先生が以前住んでいた町の、名所「三春滝桜」。そういえばまだ行ったことなかった、と思った瞬間に、つのる想い。
 三春滝桜 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%98%A5%E6%BB%9D%E6%A1%9C (ウィキペディア)
 だけど、今回は、心の中で想う桜、ということにする。必ずや、いつか見に行く。
 そのときを夢見て、この藤沢の地にも及ぶ、災禍と戦う。
 日常の風景こそが最も輝く、そう静かに主張する「江ノ電」。帰路に就きながら、気持ちを新たにする。
    

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心の中で三春の桜を想う。その2

特別由緒ある大木、というわけでもない。何でもない、日常の風景。
 
だけど、その何でもない風景が、江ノ電の最大の魅力。
 
撮影をするには陽が沈み過ぎてしまった。しかも携帯電話のカメラでの撮影。
 
決して満足のいく出来栄えではないけれど、それでも、今の浜坂には、必要なものだったのでしょう。
 
飢えていた、と言い換えてもいいのかも知れません。
 
浜坂のこのブログ、一番最初の記事は、浜坂の故郷、金沢の桜並木でした。
 
「ふるさとの桜並木のように、わずかひととき、咲き誇るために、一年をかけてじっくりと充電をする。」
 
長い冬は終わった。桜の花を、咲かせよう。春を想う限り、人はどんな長い冬でも耐えることができる。
     

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心の中で三春の桜を想う。その1

心の中で三春の桜を想う。その1

浜坂が勤務する藤沢市の福祉作業所、今日はみんなで鎌倉へ出かけていった。
 
浜坂はお留守番担当。帰ってきたみんなから、「桜、キレイでしたよ!」と報告を受ける。
 
その言葉に、浜坂の中で、何かのスイッチが入った。
 
17時の退勤時刻と同時に、作業所を飛び出し、江ノ電藤沢駅へ。
 
17時48分、鎌倉行に乗車、18時14分、「極楽寺」駅、着。
 
以前、鉄道雑誌で見た、江ノ電と桜の写真。現地に行ってみたいと思いながら、今まで果たせなかった思い。いてもたってもいられなくなった。
 
カメラすら持っていないことに気がついたのは、現地についてからだ。
     

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2011年4月 3日 (日)

「社会とつながる」って・・・

JR東北新幹線、4月下旬に運転再開の見込み。

在来線のJR東北本線も、すでに復旧している仙台~利府間他に加え、岩切~松島間他三区間が5日復旧。新聞発表の情報を総合すると、順次4月中旬までには全線復旧の見通し。

JR釜石線、遠野~釜石間、4月上旬復旧予定。

JR仙石線、小鶴新田~東塩釜間、4月中旬復旧予定。

JR石巻線、小牛田~前谷地間、4月中旬復旧予定。

三陸鉄道北リアス線、すでに復旧済みの宮古~田老間、久慈~陸中野田間に加え、田老~小本間も復旧。

テレビも、全ての放送局がニュース以外の番組を流す時間帯が多くなってきました。日常が、少しずつ、少しずつ回復されることに喜びを感じる一方、いまだ現在進行形の原発の状況が、リアルタイムで入ってこないことに、不安を覚えます。

それと同じく、浜坂は「歌を歌う」ことに対する無力感に、相変わらず時折どうしようもなく襲われます。もう活動休止になったのだから、いいじゃん、と言われてしまえばそれまでなのですが。

要するに、「社会とつながる」ということに対して、「結局何もできないじゃん」という無力感のことです。浜坂にとっては、とても、辛い。これまで歌を歌ってきたものとして、自分のやってきたことの無力感に捉われるというのは、どうしようもなく辛い。

「誰かに歌を届ける」ということが「自己満足なのでは」?という思いを、いまだ完全に振り払うことができません。有名ミュージシャンの「被災地の人に元気を届けられたら素晴らしいと思います」という言葉に、変に反応してしまったり。

「元気を届ける」っていう表現、なんか他人事っぽい。

自分が現地へ入るとしたら、そんな言葉、言えるでしょうか。多分、何も言えなくなって、ただ誰かの隣で話を聞き続ける、とか。あるいは、そうやって人と向き合うことが、そもそも果たして私にできるのかな・・・

たぶん、みんな、どんな言葉を使っていいのか分からなくて、判を押したように「元気を届けられれば」という表現を使ってしまうのでしょうが、浜坂には強烈な違和感を禁じ得ません。

考えすぎでしょうか。普段から、「ステージをお届けする」という言葉を浜坂は頻繁に使っているのですが。

そんなことで煩悶していたら、お昼にやっていたニュースの中で、陸上女子短距離の選手が、こんな表現を使っていました。

「私の走りを見た、被災者の方が何かを感じていただけたら、と思います。」

自分が何かを届ける、という、「自分」主体のやや傲慢な表現を使わずに、自分には何もできないが、何かを「感じて」ほしい、という、受け手の方にやや身を委ねたような言い方。

みんな、考えてるんだな。行動や発言の全てが震災と関連して意味づけられてしまう、そんな時として苦しく難しい状況の中で、発言の中身に気をつけながらインタビューに応えている様子が伝わってきて、好感を持ちました。

「感じる」という表現も、大差ないよ、と言われてしまえばそれまでなのですが。・・・というか、こんな悩み、「なんだそれくらいで」「今頃・・・」とか言われるんでしょうね。やはり考えすぎなのかもしれません。

「歌を歌う」ことの中の、「何かを伝える」とか、「何かを届ける」という側面が強すぎる、押し付けがましい、と大学時代さんざん叩かれました。ふざけるな、誰に届けるでもないような歌、ただの自己満足じゃないか、と憤慨して、当時所属していたサークルを辞めました。若かったあの頃。

そんな浜坂が、今、最も歌が必要とされる時期に、歌に対して自分のスタンスが確定しないことに、自分自身憤りを感じています。高校時代、大学時代の日記をひっくり返して読み返してみましたが、自分の中で答えは出てきませんでした。

自分が何も行動できていないからでしょうか?頭の中で考えるばかりだからでしょうか?仙台に、かけがえのない先輩方がいる。無事は確認できたものの、本当のことを言うと、今すぐにでも会いに行きたい。私にできる可能な限りのことをしたい。

でもそれすら、「現地の人のためというより、自分のためなんですね」と言われると、多分言い返せない。

今は、新しい職場(福祉施設)で守るべき人たちがいて、長期間という時間は取れないし。音楽活動だって、今の職場でしばらく実績を積みたいということもあり、無期限休止にしましたし。・・・そう、ここなんですよ、この、自己中心的な気持ちなんですよ、責められるべきは。

音楽活動に話を戻しますが、いつか遠い将来は復活するつもりでいます。何年後か分かりませんが。それまでに、もう一度気持ちを整えておきたい。

「社会とつながる」という、去年から、否、大学時代から、否、音楽をはじめた当時から引き続いて自分のモチベーションとしていることを、静かに、冷静に考えていきたい。そんなことを考えています。

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