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2010年6月28日 (月)

東山線に黄色い電車が走っとった頃の、辛く、楽しかったお話。

100形(レトロでんしゃ館にて)

名古屋市交通局東山線、100型。通称「黄電」です。現在走っている銀色に黄色の帯、通称「銀電」と区別されて呼ばれています。

浜坂、生まれも高校卒業も石川県ですが、ごくわずか幼稚園の頃、名古屋に住んでいた一時期がありました。クーラーさえついていない、この「黄電」がまだ現役だった頃の話、このブログの「プロフィール」に載せている、「東山線に・・・」という詩の世界の、「ウラ話」というやつを、します。

浜坂の母は、義母の「嫁イビリ」で精神に変調を来たし、夫である浜坂の父が転勤になったのを機に、逃げるように義母以外の家族で名古屋へ移り住みました。

あるいは、父自身が、たまりかねてどこか石川県以外への転勤願いを出したのかもしれません。

しかしそんなこと知らなかった浜坂は、物心ついたときにはすでに名古屋にいたため、今でも実家のことが極端に嫌になったときなどは「浜坂の心の中の故郷は、名古屋・桜通伏見のビジネス街裏手にあった、木造の社宅なのだ」と逃げの思考に走るときがあります。

調子を崩すと「三人目(浜坂のことです)なんか生みたくなかった」と平気で口にしたり、あるいは突然「私はなんでこんなに不幸なんや」と泣き叫んで、夕食後の皿を床に叩きつけたりしていた母でしたが。

この当時、幼なかった浜坂を連れて病院へ行く途中の母。東山線の「黄電」や、路線バスに二人で乗っているときの母。このときだけは、とても穏やかな表情をしていました。鉄道マニアになったのは、そのときの原風景が影響しているのかもしれません。

ですが。

「三人目なんか・・・」と言う一方、新興宗教にはまって、「幸せになるには、まず家族を愛することなんや」と、真逆のことを繰り返す母のもとで、子どもがどう育つか、ということは、浜坂がちょうど教育学部に入学した頃に、「アダルトチルドレン」という言葉でさかんに研究された通りです。

浜坂、今でもあの当時を引きずっています。浜坂や、浜坂の母が陥ったような苦しみを、他の人が味わっていることに対して、無関心ではいられないのです。

心の病をお持ちの方と関わることに、浜坂がこだわるのは、「人生ってのは、『私は不幸だ』と悲劇のヒロインみたく繰り返すことだけじゃないんだよ」ということを、その仕事を通して、あるいは音楽活動や自分の生き方そのものを通して示したいから、という側面があったりします。

ただし、その一方、子どもの支援に携わって、「どんな親の下に生まれても、どんな環境の下で育っても、浜坂が今、君たちと一緒に楽しく仕事をしているように、人は必ず幸せになれるものなのだよ」というメッセージを発信したい、という思いもあります。

どちらの道に進むべきなのか、一方の道に足を踏み込んだばかりの今になってもまだ、迷っている浜坂がいます。

迷えるうちに迷って、結論を出したい。しばらく、悩み続けるだろう浜坂です。

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