« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月28日 (月)

東山線に黄色い電車が走っとった頃の、辛く、楽しかったお話。

100形(レトロでんしゃ館にて)

名古屋市交通局東山線、100型。通称「黄電」です。現在走っている銀色に黄色の帯、通称「銀電」と区別されて呼ばれています。

浜坂、生まれも高校卒業も石川県ですが、ごくわずか幼稚園の頃、名古屋に住んでいた一時期がありました。クーラーさえついていない、この「黄電」がまだ現役だった頃の話、このブログの「プロフィール」に載せている、「東山線に・・・」という詩の世界の、「ウラ話」というやつを、します。

浜坂の母は、義母の「嫁イビリ」で精神に変調を来たし、夫である浜坂の父が転勤になったのを機に、逃げるように義母以外の家族で名古屋へ移り住みました。

あるいは、父自身が、たまりかねてどこか石川県以外への転勤願いを出したのかもしれません。

しかしそんなこと知らなかった浜坂は、物心ついたときにはすでに名古屋にいたため、今でも実家のことが極端に嫌になったときなどは「浜坂の心の中の故郷は、名古屋・桜通伏見のビジネス街裏手にあった、木造の社宅なのだ」と逃げの思考に走るときがあります。

調子を崩すと「三人目(浜坂のことです)なんか生みたくなかった」と平気で口にしたり、あるいは突然「私はなんでこんなに不幸なんや」と泣き叫んで、夕食後の皿を床に叩きつけたりしていた母でしたが。

この当時、幼なかった浜坂を連れて病院へ行く途中の母。東山線の「黄電」や、路線バスに二人で乗っているときの母。このときだけは、とても穏やかな表情をしていました。鉄道マニアになったのは、そのときの原風景が影響しているのかもしれません。

ですが。

「三人目なんか・・・」と言う一方、新興宗教にはまって、「幸せになるには、まず家族を愛することなんや」と、真逆のことを繰り返す母のもとで、子どもがどう育つか、ということは、浜坂がちょうど教育学部に入学した頃に、「アダルトチルドレン」という言葉でさかんに研究された通りです。

浜坂、今でもあの当時を引きずっています。浜坂や、浜坂の母が陥ったような苦しみを、他の人が味わっていることに対して、無関心ではいられないのです。

心の病をお持ちの方と関わることに、浜坂がこだわるのは、「人生ってのは、『私は不幸だ』と悲劇のヒロインみたく繰り返すことだけじゃないんだよ」ということを、その仕事を通して、あるいは音楽活動や自分の生き方そのものを通して示したいから、という側面があったりします。

ただし、その一方、子どもの支援に携わって、「どんな親の下に生まれても、どんな環境の下で育っても、浜坂が今、君たちと一緒に楽しく仕事をしているように、人は必ず幸せになれるものなのだよ」というメッセージを発信したい、という思いもあります。

どちらの道に進むべきなのか、一方の道に足を踏み込んだばかりの今になってもまだ、迷っている浜坂がいます。

迷えるうちに迷って、結論を出したい。しばらく、悩み続けるだろう浜坂です。

|

2010年6月24日 (木)

ターミナル。

「旅をするのに理由なんてないさ 誰にも理由なんて決められたくないさ」。

少しでも人として幸せになるために。そのためなら何だってやる。

「これこそは今度こそはと そう信じるうちに 知らぬ間に誰かのレールに乗せられていた」。

信じていたものが嘘だと気づいたなら、そこから逃げ出そうとするのが人というもの。

どうしようね。充実した日々の中で、たった一点の許せないこと。

浜坂、いろんな業種、いろんな世界の仕事を見てきたので、?と思うことも多々。

もし、このタイミングで、新たな縁が生まれたら。今度こそ、今度こそ信じて、その道を進もう。

「俺の歌が聞こえたら きみの歌を返してよ 誰かがそばにいてくれる そう感じるだけで 明日を生きられるんだ」。

胸に手を当てて、考える。自分に、そして、心の中にいる、かけがえのない友に問いかける。

どうすればいい?

わからないので、とにかく行動を起こすことにした。もしよい結果が出たら、今度こそ。今度こそ。

|

2010年6月22日 (火)

可能性という扉が、開いた。

進むべき道は。

進むべき道は。

今一度、胸に手を当てて考えてみる。

やり直すなら、今しかない。

やり直せる可能性があるなら、そこにかけてみるべきだ。

やり直せる可能性があるなら。

そんなことを、ずっと考えている。

可能性という扉が、開いた。

その瞬間。

人はそこに夢を見ないではいられないのです。

私も、また。

|

2010年6月20日 (日)

迷ったときはイバラの道を進め

「迷ったときはイバラの道を進め」という言葉を、浜坂のお気に入りのミュージシャンから又聞きしたことがありますが、浜坂、相変わらず進むべきイバラの道を、ひそかに模索しています。

イバラの道を探し続けて、見つけてなお怖気づいて、それでも進んだ先で再び分かれ道を見つけ・・・そんな風にして何人の人を裏切り、傷つけてきたでしょうね。ポイント通過ばかりで揺れまくる電車に快適さを感じる人は少ないはずです、ハイ。

それでも、次々と違うレールへ進もうとするのは、その先に幸せがあると信じてのことです。理想とのギャップがあまりに大きすぎるんです、この国は。だから、この国で幸せになろうと思ったら、理想とのギャップに気づいた瞬間から、戦いをはじめなければなりません。

未来を担う子どもたちの瞳に、教えてほしい。この社会の中で、浜坂が戦うべき場所を。

|

2010年6月13日 (日)

アマチュアミュージシャンの底力を見よ@日比谷野外小音楽堂

今日は、アコースティックイベント「歌人会」http://utabitokai.hp.infoseek.co.jp/主宰、ペペさんのブッキングライブを見に、日比谷野外小音楽堂へ。

各出演者いいステージで、書きたいことはいっぱいあるのだけど、今日はその中で特に「佐藤友」のライブに感動して帰ってきました。

この人、ひと時は音楽事務所に入ってミュージシャンとしての活動もしていたのですが、その道を蹴って、小学校の先生という道を選びました。

学校という職場にも慣れてきた今、3年というブランクを経て、ステージをしたのですが、まあカッコイイことカッコイイこと。

浜坂、仮に自分の就職活動が上手くいかなくて、まだ町工場勤務のままだったら、この日のライブ、見に行けないなあ、という心づもりでいました。この「佐藤友」のライブを見るには、それなりの「人生の踏み絵」みたいなのがいるだろうと。

それは先日、大学院にいる友人がせっかく上京するのに、「用事がある」とウソをついてしまったのと同じ理屈です。「あんな立派に人生歩んでいる奴の前に、おまえはどのツラ下げて会いに行こうというのだ?」と。

浜坂、一応ながら夢だった福祉の世界への復職を果たすことが出来たので、恥ずかしながらヘラヘラしたツラをぶら下げて、見に行ってきました。

そんな、身構えなくたって、「浜坂も同じミュージシャンです」と言うだけで、ミュージシャン同士、なんとなくつながりあえるものなんですけどね。あるいは、ミュージシャンとして演奏できなくたって、「音楽が好きです」ってだけで、ホントは人はつながりあえるものなんですけどね。

浜坂は、こういうところが短所なんですね。

さて、ライブは、3年というブランクを感じないくらい良くて、思わず泣きそうでした。

やっぱりこの人の歌は、いい。

アマチュアミュージシャンの世界、環境の変化(学校を卒業した、就職が決まった、結婚した、子どもが生まれた・・・)を機に、音楽活動そのものを止めてしまうミュージシャンが多々いますが・・・

浜坂、声を大にして言いたい。

歌える奴は、歌ってくださいっ!!

より身近なところで歌を届ける人が多ければ多いほど、歌に触れる人も多くなる、そうして、自分でも気づかないところで、見知らぬ人に何か影響を与えることが出来るんです。

今日、すべてのステージが終わったあと、誰からともなく賞賛の拍手が沸きあがったように。

浜坂、転職などしたばかりで、今はなかなか自身の音楽活動は難しい状態ですが、浜坂も必ず、音楽の世界に戻ってくるからね。

歌を歌うことは、止められんです、たぶん。

昨日、今日と、立て続けにライブを見て、チョット火をつけられた感じの浜坂です。

|

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »