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2010年3月13日 (土)

「こんな俺でも夢を見ていた」教えてくれた証が消えた・・・「北陸」「能登」ラストラン。〜その2〜

「こんな俺でも夢を見ていた」教えてくれた証が消えた・・・「北陸」「能登」ラストラン。〜その2〜
「こんな俺でも夢を見ていた」教えてくれた証が消えた・・・「北陸」「能登」ラストラン。〜その2〜

石川県出身。大学受験のホテルが取れず、この寝台特急「北陸」で上京、受験。
 
そして合格。大学近くにアパートを借りて、いざ上京するときも、父に頼み込んで「北陸」の切符を取ってもらった。
 
上京前夜、金沢駅のホーム。高校の音楽担当、恩師の山崎先生に、買ったばかりの携帯電話で、「行ってきます!」と別れの挨拶をする。
 
懐かしいなあ。
 
そんな列車だから、思い入れがあるのよ。多くのブルートレインが、「不便」で「時代遅れ」と評される中で、
 
①深夜に出発して早朝に到着という時間設定、②個室寝台の充実、さらには③割引料金も適切で、
 
ビジネスマンに根強い人気があったこの列車に対して、「不便」「時代遅れ」という評価は浜坂、真っ向から否定する。。浜坂もマトモな仕事に就いていたときには、この恩恵に何度となく浴した者の一人です。
 
学生時代に頻繁に使った「能登」とともに、東京都区内に用事で出ているときは、ふと思い出したようにこの列車を見に来る。夢を見ていた若かりしころの自分を振り返って、人生を考え直すには、この列車は必要不可欠な存在だったんです。

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