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2009年10月19日 (月)

司会・浜坂英則vs松村加子さん@藤沢・遊行福祉まつり。その1

昨日は、藤沢・「第18回遊行(ゆぎょう)福祉まつり」にて、司会と音響スタッフとしてボランティアをさせていただきました。

「こころの病を持つ人々への誤解や偏見が無くなる社会の実現と、子供から高齢者まで、健康な人も病める人も、みんなで支えあい、互いに尊重しあえる社会の実現を祈っております。このイベントを通じ、喜びや感動を共有し、その収益は、精神保健福祉の理解に対する啓発活動に役立てます。」

来場者に配布しているパンフレット、「開催趣旨」の欄に、高らかと「こころの病」「精神保健福祉」という言葉を使うこと自体が、まず崇高なことだと思います。「精神を病んでいる」ということを、本人も、周囲の人たちも、みんな隠そうとする。そんな風潮はありませんか?あるいは逆に、、新しく出会った人に対して、いつかは「私、実は病気なの」と告白しなければ、これから先、付き合っていくことが許されないなどと、強迫的に思い込んでいたりする。そんな心性はありませんか?

それはまるで、島崎藤村の小説「破戒」において、主人公が意中の女性に対して、泣きながら自分が「えた」、すなわち被差別部落出身であることを告白するかのように。(人間とはみなされない存在ですが、そんな私ですが許してくれますか?)というかのごとく、卑屈にも懇願するかのように。心を病んでいるすべての人がそうだ、という訳ではありませんけどね。これは名誉のために、ちゃんと付け加えさせていただいておきます。

違う、そうじゃない、「えた」がもはや差別用語とされているように。被差別部落出身者だ、と聞いても、私たちが、「あ、そうなんだ、だから?」と普通に言えているように。「あなたが被差別部落出身者であることは分かりましたよ。だけど私は、そんなことで付き合い方を変えたりはしませんよ」と、誰もが気負うことなく今、言えているように。「こころの病」を持つ人も、私たちが「あ、そうなんだ、だから?」と、気負うことなく言えるように。「病気を持っている、だからといって私はあなたを特別扱いしませんよ」、と、自然に付き合うことができるように。そんな「社会の実現」を目指して。これはあくまで、浜坂の個人的かつ、しごく乱暴な理解の仕方ですが。

おととしからこのお祭り、ボランティアをさせていただいていますが、準備の折、軽トラックの車中で、「福祉まつり」の事務局をしている精神障害者社会復帰施設の所長と、実り多いお話をさせていただいていると、そんなことをいつも考えさせられます。

福祉関係への就職活動の折につながった縁。これは、もはやこの場所に就職できるできないを通り越して、ずっと関わっていきたいイベントです。

さて。境内いっぱいに並んだ、毎年その数を増すフリーマーケットや食べ物の屋台に押し出される形で、メインステージの位置も今年は変更を余儀なくされました。メインステージは津軽三味線や民族音楽の演奏、アニメキャラクターの切り絵をする大道芸の方など、多種多様な方たちが登場します。国会議員や市長まであいさつに来たりして、司会としてはとてもとても大変なステージです。

今回。とてもとてもすごい方にお会いしました。「話術巧みな浜坂さんにもうひとり司会をつけて、掛け合いをしてもらったら、ステージがもっともっと盛り上がるのでは」と、もったいない期待をいただいて、はじめて二人司会制となった今回。浜坂と一緒に司会をしていただいたのは・・・なんとレディオ湘南のパーソナリティ、松村加子さんでした!

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