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2009年8月 2日 (日)

あぱおさん、許せ!広島カープが俺を呼んでいる。その5

あぱおさん、許せ!広島カープが俺を呼んでいる。その5
あぱおさん、許せ!広島カープが俺を呼んでいる。その5
あぱおさん、許せ!広島カープが俺を呼んでいる。その5

昨日は、カープ、勝たせていただきましたよ。へへっ。
一夜明けて。
カープファンの聖地、旧の広島市民球場を巡礼。
ある方から「写真撮ってきて!」とリクエストのあった「津田プレート」。「津田恒美 笑顔と勇気を忘れないために」でしたっけ、そんな言葉が刻まれたプレートがあったんですが。新球場の、ブルペンに移設されて、一般の人は見られないとのこと。残念!
代わりに、衣笠の写真で勘弁してください(笑)
カープファンに今も語り告がれる「炎のストッパー・津田恒美」。実はこの人、浜坂と同じ誕生日、8月1日なんですよね(笑)
いつでもどこでもストレート勝負。原辰徳が真っ向勝負でヒッティングしたら、衝撃で小指付近の骨が折れた、というのは伝説ですよね。ランディ・バースをして、「彼(のピッチング)はクレイジーだ」と言わせたり。32歳の若さで脳腫瘍で亡くなってしまいますが、この人のドキュメンタリーをはじめて見たときは、衝撃でした。
原爆ドームと、市民球場の、津田プレートがかつてあった場所。路面電車の線路をはさんで向かい合わせの、この場所に立つと、いろんなことを考えます。
10年前、この場所に立っていたときは、いろんなものを吸収したくて、いろんなところに首を突っ込んでいました。大学で勉強している、「時代の流れとしっかり向き合って生きている」、そんな充実感にあふれていた頃でした。「何かを手に入れたいと思ったら、何かを捨てなければならないこともあるんだよ」という大学のゼミの先生の言葉なんて、まったく耳に入りませんでした。
今、あのときの言葉を、ひしひしと感じている自分がいます。
「時代と向き合うこと」。このことを、仕事という場でできさえすれば、音楽だって何だって、大学生、あるいは高校生の頃のように、何の後ろめたいこともなくやれるのに。たったひとつ、仕事というフィールドで、この夢が叶えば、他の何を捨ててもいい・・・いや、やっぱり音楽は捨てたくない、っていうか、せっかく夢が叶った仕事を捨てて、音楽を取って、再上京した過去がある。
年間自殺者の過去最悪を、またもや更新しそうな今年。心の病で休職する人の数も過去最悪だとか。児童虐待とか、逆に子供が親を殺すだとか、いじめだとか。そんなニュースに触れるたびに、何もできない自分がつくづく嫌になる。浜坂も、そういうニュースに名を連ねるすれすれのところを生きてきた過去があったりするので、人ごとじゃないんですよね。そんな綱渡り人生は、子供の頃も、大学を卒業してからこれまでも、ちっとも変わっていないなあ。
津田恒美という人のピッチング、マウンドでの振る舞いは、そんな、気がついたら下を向いてうなだれている人を、ハッとさせて空を見上げさせる、そんな力がありましたよね。さて、浜坂は、そんな人間になれるかな。音楽の力でハッとさせられて、「俺も・・・」と思ったのがギターはじめたきっかけなのだけれど。なぜか笑いに走っちゃうんだよなあ・・・どうしたもんかなあ(笑)ま、いろいろ考えながら、これからもやっていきます。
旅先で、もの思いにふけると、気持ちが沈まないまま冷静に自分を見つめられるからいい。やっぱりこの場所に来て、よかった。本当に、よかった。

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